沖田が色街へ通う茶番
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沖田と土方は恋仲である。
つまり愛を交わし閨を共にする関係のことだ。積年の想いを吐露して受け入れられたのがつい最近のことで、沖田はいま幸福の只中にある。幼い頃からずっと土方に可愛がられている自覚と自信はあっても、それは弟分に対する親愛にしか過ぎないだろうと思っていたから、告白はほとんど玉砕覚悟で捨て身のようなものだった。
それを土方が戸惑いながらも否定せずに受け止めてくれた時のことを思い返すと、口元が緩むのを抑えられない。土方に言い寄る女は掃いて捨てるほどいたし、その中には沖田よりもよほど条件のよい者もいるはずなのに、これまで土方はそのすべてを断ってきた。そして、あの日、沖田を選んでくれた。これを幸福と呼ばずしてなにに心を躍らせようというのか。
沖田の知る限り彼に衆道の趣味はないはずで、けれど沖田のことは抱いてくれた。もともとずっと寝食を共にして暮らしていたから、恋仲になるというのは寝所での意味合いが変わることで、これがうまくいかなければ元の義兄弟の仲に戻るだろうことは明白だった。だから互いに手探りで完璧とはいえなくとも最後までできたことに心底ほっとしたし、嬉しかった。知らずぽろぽろと零れてゆく涙を土方は分厚くて無骨で少しかさついて剣だこのできた沖田の好きな手で何度も何度も拭ってくれた。
沖田は性欲の強いほうでは決してない、と自認している。少なくとも異性に対して衝動を抑えられなくなったり、誰でもいいから相手をなどと望んだことは一度もない。そもそも新選組に属し愛獲でもある身で人気を維持することを考えると、噂だろうと浮いた話が持ち上がるのは賢くない。実際、往来で煌の声援に笑顔を振り返すことはあっても、特定の女に手を差し伸べたことなど一度もなかった。
広く知られている顔を隠すようにしてひとり足早に歩を進める。すれ違う人の影から女子供の姿が減り、反比例するようにして建物の造りや装飾が煌びやかになってゆく。人を惑わせるような香りがどこからともなく届いて鼻腔をくすぐった。
いくつかの角を曲がり、上等な素材と細工の戸を無遠慮に開く。
「沖田様」
中にいた顔馴染みの娘が沖田を見るなり頬を綻ばせた。しなを作るのに合わせて簪がしゃらしゃらと音を鳴らす。建物の中は外観よりもさらに派手で、華やかな色遣いに大ぶりの生け花、賑やかな音楽に香りだけで質の高さが伺える料理の気配と、客を五感で愉しませようとする意識に溢れていた。
「どーも。……いる?」
「ええ、おりますわ。どうぞお二階へ」
案内は要らなかったが、これがここでの丁寧な対応だということは知っているからおとなしくついていく。食事と座敷遊びのための一階とは打って変わって、間隔のとられた個室の並ぶ二階は静かで部屋の様子は伺えなかった。もっとも、中で行われていることはわかりきっているのだが。
一番奥の部屋の前に娘が膝をつき戸を開けた。中は薄暗かったが、そこにこの建物で一等美しい女がいることは知っている。
「あら」
女が沖田を見て楽しげな声をあげた。低く、色気のある声だ。紅く塗られた唇がにんまりと弧を描くのを見ながら、沖田は部屋に入る。
「お待ちしておりましたのよ」
「まあ、そうだろうね」
「あら、自信たっぷりでよろしいこと」
くつくつと笑う声の後ろで娘が戸を閉め、外の気配が遮断された。
土方と沖田は恋仲である。
沖田の容姿や仕草が女だけでなく男をも刺激することは理解していたし、実際同性に性的な含みで言い寄られている場面も見てきた。当の沖田は声をかけてくる輩を男女問わずその場の口先で弄んでは去るような真似ばかりで、この様子ではいつになったら身を固められることやらと、自分のことは棚上げにして思っていた。
それが蓋を開けてみれば、沖田は土方がいいのだと言う。いつもの軽口とはとても思えない真剣さと必死さで訴えられればすげなく流してしまうこともできず、ぶつけられた想いに正面から向き合ってどうするか考えた時、それを拒否する理由がどこにもないことを知った。戸惑いがないわけではなかったが、そんなにも切実に伝えてくる想いを一度受け入れてしまえば途端に可愛らしく見えてくるのが人の情というもので、満更ではないというのが正直なところだ。
夜の関係はさすがにすんなりとはいかなかったが、最初は失敗しても致し方ない、回数を重ねていつか最後までできればいいと思っていたから、最後までできたことには喜びよりも驚きが勝った。自分が沖田にはっきりと欲情できたことに対する安堵もある。肌を重ねて至近距離でぽろぽろと涙を零しながら微笑むさまは大いに庇護欲を掻き立てたし、愛おしさに拍車をかけた。
もともと特定の相手を持たず、気紛れと付き合いのある時にだけ色街へ出向くような生活をしていたから、いざ改まって交際をするとなると新鮮で、浮き足立っているのも否めない。初めに言い出したのは沖田のほうだったが、了承したからには土方にも責があるし、少なくとも不誠実なことだけはすまいと決めていた。
「総司はどうした」
夕刻、見回りから戻ってきた隊士たちの中に沖田の姿が見えないことに気づいた土方が声をかけると、彼らは一斉に居直った。それぞれに顔を見合わせてから、言いづらそうに一人の隊士が口を開く。
「沖田さんは、戻ってすぐ、お部屋へ向かいました」
「部屋へ?」
普段なら局長室へ上がりこんできたり、他の隊士の相手をしたりと、見回りが終わっても動き回っていることが多い。すぐに自室へ引き上げるとはどこか具合でも悪いのだろうかと思案しかけた土方を、続く言葉が引き止めた。
「私用で出かけると言っていました。……その、色街へ」
予想もしていなかった単語に聞き違えたかと目を瞠る。だがそれは、隊士の言い間違いでも、土方の聞き間違いでもないのだった。
「総司」
その夜土方が沖田の姿を見たのは、風呂から戻った自室の前だった。今帰ってきたのか、そこで待っていたのかは見ただけではわからなかったが、隊服でなく地味な着物を着ている。夕刻にいちど戻った時に着替えたのだろう。隊服での私的な外出は極力控えるよう隊全体に通達してあり、それを彼が守ったかたちになる。
「土方さん。よかった、入ってもいいですか?」
「……ああ」
なにがよかったと言うのか。いずれにしても廊下で立ち話する内容ではないだろうと部屋へ招き入れると、沖田は上機嫌で入ってきた。
「総司、その、」
「はい」
向かい合って座した沖田はさして構えずに言葉を待っている。土方はなんと言ったものかと逡巡し、けれど回りくどくしても意味がないと結局率直に訊くことにした。
「今日はなにをしていたんだ」
渋い顔で絞り出すように問いかけられて、沖田はぱちぱちと長い睫毛を上下させる。それから口の端を僅かに上向かせ、すいと土方へ近づいた。
「気にしてくれてるんですか、嬉しいなあ」
悪びれのない反応に、隠す気など最初からなかったのだと思い知る。そもそも隠すつもりなら隊士に対して色街へ行くなどとは宣言しなければいいことで、わざわざそう伝えたというのは土方の耳に入るのを計算した上でのことだろう。
急に自分ひとりがひどく愚かで惨めであるような気がして、土方はがしがしと頭を掻いた。そうでなければもっと乱暴なことをしてしまいそうだった。
「俺との関係が負担なら無理に続けなくていい。一言そう言ってもらえれば、」
「土方さん」
沖田の目はやはり悪気などどこにもないと告げていて、それどころか楽しそうですらある。いよいよ肚の奥が煮えそうになってきたのを、軽い言葉が制止した。
「お茶会してました」
「……は?」
「お茶を飲んで、お菓子を食べながらお喋りしてました。指一本触れていません」
「なにを馬鹿な」
「本当です」
疑うなら確認してください。ごく当然のことのように言うが、先方――店の者が客のことを第三者に漏らすはずがなく、確認のしようなどない。それは沖田にもわかっているはずのことだ。
「お茶会しながら、いろいろ教えてもらってたんです。……いろいろ」
す、とまるでそうすることが初めから決まっていたかのような自然さで沖田が身を乗り出した。顔が近づいて、反射で土方が肩を後ろへ反らす。後ろ手をつく音がやけに大きく聞こえた。
「ねえ、僕、このあいだより土方さんを気持ちよくさせてあげられると思うんです」
普段は手袋に隠れている沖田の白い指先が頬に触れ、唇をなぞる。呆気にとられた土方の様子にくすくすと笑いながら、首筋をつうと下りた手が襟元をはだけさせて胸へと届いた。
「試させてください」
「……まだ通うのか」
仰向けになって呼吸を整えていた土方が、目を閉じたままぽつりと呟く。どこに、とは言わなかったのはせめてもの矜持だった。
「土方さんが教えてくれるなら行きません」
片肘をついて寝そべりながら土方を見ていた沖田が、土方の額に汗で張りついた黒髪を払って甘く囁く。薄く瞼を開けて流し目で睨むのすら沖田にとっては褒美だった。
形のよい耳に口を寄せ、欲望を流し込む。
「どこをどうするのが気持ちいいのか、全部教えて」
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