イザークとディートリッヒ
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何年経とうと大して変わらぬ街並みを歩く。
細葉巻を片手に暫しふらついた後、ここのところ頻繁に出入りする酒屋に入った。
「いらっしゃいませ」
相変わらずマニュアル通りの言動の男が喋る。
一瞬だけそちらを向いて何時もの席――カウンターの一番端に座る。
先程の男が黙って灰皿を差し出して来た。そして私が注文する前に何時ものドリンクがカウンターに置かれる。
何かを口にしたいだけだったので支障は無い。私はグラスへ手を伸ばした。
「隣、いいかい?」
微かなアルコールを喉に感じた瞬間、聞き覚えのある声を耳にした。
振り向かずとも声で判る。振り向いた時にはもうその男は私の隣に腰掛けて居た。
「最近何時も此処だから今日もそうだと思って」
「何故知っている?」
「さあね―――あ、僕は彼と同じ物で良いよ」
後半の言葉は注文を取ろうとしたカウンター越しの男へのものだ。
その男が背を向けると同時に鳶色の瞳がこちらを見やる。私はまたグラスに口を付け、云った。
「何か用か?」
奴は少し顎を引き運ばれて来たグラスを見た。氷がからんと音を立てる。
「君への用事は何時でも有るし、何時でも無い」
この男の気紛れにはもう慣れた。
「―――で、今日はどっちなんだ?」
彼の方へは向かず、視界は正面を捉えた儘訊いた。
奴は一度も口を付けていないグラスを左右に傾けて遊んでいる。
「ラナンキュラスって知ってるかい?」
「ラナン―――?」
聞いた事の無い単語だった。奴は丁寧なことに解説を始めた。
「じゃあネアンデルタール人は? 始めて死者に花を手向けた人種だよ。
大災厄以前の資料に六万年前と記されているからもっとずっと昔だね。その時彼らが死者へ贈ったのが、ラナンキュラス」
ここで初めて私はそのラナンキュラスというのが花の名だと判った。
「それだけ聞くと素朴な印象を受けるけど、見た目は薔薇に似ているんだよ」
奴はようやく手の中でしきりに動かしていた物を啜った。
再び氷の音が響く。
「何が云いたい?」
慣れたとは云っても、意味も判らぬ儘言葉だけ残されるのは気分が悪い。
微かに苛立ちが感じられてしまう云い回しだったと云ってから気付いたが、向こうは何とも思っていないようだ。
「君も何か手向けてやりなよ、イザーク。これから死にゆく人にさ」
聞きながら私はアルコールを飲み干した。またも大きな氷の音。
奴はまたグラスに口を付けている。
「死者への敬意なら充分に示しているつもりだが?」
私は細葉巻を取り出した。そっと火を点ける。
「それは僕もだよ。ただそれを形にね。向こうの方々にも伝わる様にさ」
奴のグラスには未だ半分程中身が残っているが、彼は席を立った。
私は銜えた細葉巻から手を放し左に向いた。奴は何時もの様に前髪の隙間から瞳をちらつかせながら笑っている。
私が何か云おうと口を開きかけた時、奴の手が私の目前に伸びた。
刹那、私の細葉巻が奪われる。
次に瞬間にはそれは奴に銜えられて居た。
「ディートリッヒ」
私の呼び掛けに、奴は出口へ行こうと背を向けた儘右手を振って応える。
瞬きの間に奴の姿は闇へ溶けた。
私は軽く瞼を閉じ、また新しい細葉巻に火を点けた。
その煙は先程奴が吐き出した時と同じ様に宙で複数の筋を描き、ゆっくりと周囲に混ざってゆく。
「花を手向けて―――」
自然に言葉が零れ落ちる。
「それが一体何になると?」
細葉巻を片手に、私は席を立った。
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