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6話のチェリーは頼もしい

「なあ、せっかくだから浴衣でやろうぜ」
 古文書のような地図から顔を上げながらそう言った虎次郎に、五人の視線が集まる。虎次郎はそれを受けてばちんとウインクをしてみせたが、残念ながら誰の心にも響かなかった。
「温泉入るんだからそのほうがいいだろ。気分も上がる。シャドウはもう着てるしな?」
「おう!」
 すでに気分の上がっている広海がピアスの開いた舌を見せる一方で、あからさまに戸惑った顔を見せたのはランガだ。
「ユカタ……」
「ランガ、浴衣着たことあるか?」
「ない……暦は?」
「着るっつーか、いつもテキトーに結んでるっつーか……そんな顔されても……」
 暦が彼のスケートに描いたイエティと同じ目が、じっと暦を見つめてくる。無表情に見えてもその実助けを求めていることを知っている。
 とはいえ暦は他人に着付けをしたことなどない。妹たちにたまに着せてやるのは琉球紅型だし、それもやはり適当にやっていた。どうせはしゃいで着崩すから、きちんとやるよりきつく結んだほうがいいのだ。
「着物を着たことがないのか」
 ふたり揃って眉をひそめているところへ、桜色の助け舟がやって来た。
「うん」
「なら着せてやる。初めて着るのに適当では格好がつかないだろう。着替えたらお前らの宿に行くから、浴衣を出しておけ」
「……! ありがとう!」
「薫ー、俺も〜」
「はぁ? お前は自分で自分のを着ればいいだろう。……まさか」
「宿取ってねえんだよなぁ」
「そうか。夜だし車通りも少ないんじゃないか」
「……野宿しろってか?」
「ゴリラには似合いだろう」
 言いながら薫は押し入れから二枚の浴衣を手に取り、一枚を虎次郎へ投げつけた。次いで丸められた帯をへらへらと笑う顔面へ迷いなく振りかざす。ピッチャーストレート、デッドボール。
 虎次郎はボールの感触を確かめるように、帯の玉を軽く真上に投げた。
「サンキュ」

 目の前に一面の赤色と大輪の花々が咲いている。
 虎次郎のシャツだ。公共の場で見せて歩くにはいささか不適切な言葉が筆で書かれているが、虎次郎があまりに堂々と着ているのでそういう柄のように見えてくる気がしなくもなくなってきた。
 実也はその広い背中へすすすと寄って、そっと声をかける。昨日この背中をバリバリと引っ掻いたのは子供のかわいい悪戯心とはいえ、傷をつけてしまったことは事実だ。
「ねえ、背中大丈夫?」
「ん? ああ、どうってことねえよ。慣れてるしな」
 虎次郎がさらりと言ったことの意味を実也は数拍遅れて理解した。それ子供に聞かせる話じゃなくない? と言いたかったが、この話を続けられても困ってしまうのでやめておく。
 代わりにもう一度虎次郎の背中を見た。達筆な文字はきのう夕食を食べた部屋に飾られていたものと同じだ。
「パパってさ、ママのことけっこう好きでしょ」
「はぁ? なに言ってんだ」
 虎次郎はゲッと唇を歪めた。結局あのまま薫と同じ宿に泊めてもらったことを知っているので、さすがに失礼なんじゃないかと思う。
「そんなことより、ママはお前らのこと相当好きだぞ」
「……知ってるよ」
 ゆうべの食事が、コンビニでアイスを買ってもらうようなものではないことは実也にもわかる。それをこの人数分、薫は虎次郎にだけさんざん文句を言いながら、結局は払ってくれたのだ。
 互いに名前とスケートスタイルを認知し合うだけで離れたところから見ていたときのチェリーブロッサムは、理性的で、孤高で、誰とつるむこともないようなひとに見えていた。
 今となってはなんの冗談かと思うような話だ。海に入りもしないのに一緒に海辺へ行って、夕食を奢ってくれて、ランガの着付けをして、温泉までビーフして。本島へ帰る船はこれきりとはいえ、一緒に波に揺られている。
 湯治の付き添いに来たはずが、とんだ慰安旅行だ。
 実也は昨日と同じように虎次郎のシャツの裾を掴むと、とっておきの顔で見上げてやった。
「僕はパパもママも好きだよ?」

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