人が死んでる。苦情を言わない人向け
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神道愛之介の秘書が亡くなったという連絡は、極めて事務的な文面で虎次郎のもとへ送られてきた。虎次郎は忠個人とそこまで深い関係があったわけではないが、学生時代に愛之介の送迎をしているのを見かけていたことを含めれば細くとも相応に長い付き合いではある。
狭い地元で続いた縁を無碍にする理由もない。虎次郎は黒のスーツに黒いタイを締めて通夜へ向かった。このあいだも喪服を着て、クリーニングに出したばかりであった気がするのに。歳を取ると慶事よりも弔事が増えてしまうのは仕方ないとはいえやはり物悲しさがある。
外はしとしとと雨が降っていた。車を出して、桜屋敷書庵の前へ停める。いつも通りのタイミングで助手席のドアを開け、閉めた。
通夜の会場は大勢の人であふれていた。忠の個人的な友人が集まっているというよりは、あの神道議員の第一秘書の葬儀とあらばと駆けつけた政界の者がほとんどだろう。この場では虎次郎や薫のほうがよほど異質だ。それがわかっているから直接挨拶へは向かわずに、屋外に申し訳程度に作られていた喫煙所で待った。傘の必要なこんな場所にやってくるひとは他にいない。読み通りしばらくすると口先だけの挨拶に飽き飽きした愛之介が現れた。
「やあ。来てたのか」
「俺たちも世話になったからな。お悔やみを言うよ」
「まったくだ。僕より先に逝くなんて犬の風上にも置けないな」
そう言う愛之介もさすがに隈の跡がある。シガレットケースから煙草を取り出して火をつける、そのわずかな明るさが、雨の世界にたったひとつだけ浮かんでいた。
「そう言ってやるなよ。こっちから見てもびっくりしちまうくらいあのひとはお前を好いてただろ」
愛之介を見かけるたび、そのうしろには忠がいた。直接会話をしていなくても、虎次郎や薫が愛之介と話すのをじっと見守り聞き耳を立てている姿はたしかに犬のようだった。あれがただの秘書としての意識を超えていたことくらいこちらにだってわかる。
「なあ薫」
「……ジョー」
懐かしい呼ばれ方に虎次郎は大きな瞳をぱちりと瞬かせた。その名で呼ばれる場所へはもうしばらく行っていない。二年か、三年か──そんな名前で過ごしていた場所があったことすら忘れかけていた。
愛之介はふぅと紫煙を吐き出すと、眉間のしわを深くしながら虎次郎を見た。
「きみのそれはまだ治っていないのか。チェリーが死んでもう三年経つんだぞ」
薄暗い空の下、ふたつの傘にぱらぱらと落ち続ける雨の音だけが響いている。
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