被依存症

依存症の続き

 首に巻きついた古泉の弛緩した腕をそっと退けて、できるだけ空気を揺らさないようにベッドから降りた。フローリングが冷たい。振り返って確認したが古泉を起こしはしなかったようだ。安心して、安心している自分に驚く。長い前髪に隠れて顔はよく見えなかったが(部屋は暗い)、唇がうすく開いて呼吸で震えているのがわかった。その音が聞こえているからだ。
 ひどく喉が渇いていて、遠慮せずに冷蔵庫を開いた。ドリンクホルダーにミネラルウォーターのペットボトルが置いてあったのでそれをいただく。冷えた水が、喉から身体をまっすぐ全身へ潤していくような気がした。ふう、と溜息をついてペットボトルを冷蔵庫へ戻す。と、水分で脳もはっきりしてきたのか不自然なものが目についた。
 買い置いてあるらしいコンビニパスタの隣に、カップのアイスクリームがある。これは本来、冷蔵庫ではなく冷凍庫に入れられるべきもののはずだ。よく見るとその奥や上の段にも冷凍の惣菜やなにやら、冷凍物が煩雑に並べられていた。
 なんだ、これは。いくらあいつがちょっと奇妙な境遇にあって、頭も顔も物腰もいいのに本来は粗雑な人間であったとしても、まさか冷凍食品を冷蔵部分に入れるようなことはしないだろう。カップアイスの蓋を開けてみる。どろどろに溶けているようなことはなかったが、紙のカップは指の力で安易にへこんだ。
 冷蔵庫の唸る音を聞きながら、俺は冷凍庫の扉を開いた。冷気で少し視界が曇る。

「――何してんだ、お前」

 空っぽの冷凍庫の真ん中にぽつんと、失くしたと思っていた俺の自転車の鍵が置かれていた。毎日使っているものなのだから見間違いようがないそれは、確かに今日――昨日か?――ここに来た時に鞄のポケットにしまったはずだった。それから帰ろうとするまでに数時間の間があり、その間俺も鞄も、古泉もこの部屋から出ていない。などと考えるまでもなく、犯人はひとりしかいない。
 鍵をつまんでみると、それは冷やされきっていて氷のように皮膚に張り付いた。それを剥がしてまた元の位置に戻す。鞄ではなく、冷凍庫にだ。そのまま冷凍庫の扉を閉めて、もう一度冷蔵庫を開いた。喉が渇いていた。

 古泉が俺の鍵をこんなところに隠した意図はわかっている。それは本人も直接俺に云っていた。「いてください」。それ以外のなんでもない。だったら最初からそう云えばいいだろう、実際言葉にしたのだし。わざわざこんな、アイスを冷蔵庫に移動させてまでちゃちな悪戯をする必要はない。他人の家の冷凍庫を開けることなど普通はなく、したがって物を隠すにはまあ、適当といえば適当な場所だが、そもそも隠すという行為に必要性を感じない。古泉、どうしてこんなことをしたんだ?
 だけど結局そう思うことも、鍵を冷凍庫に隠すくらいに意味のないことだというのは、俺だってわかっていた。もし本当にその真意を知りたいならば、冷えた鍵を古泉に突きつけて問い質せばいいだけの話だ。それをしないのは、何故だ?

 冷蔵庫の扉を閉め、暗闇を取り戻した中でベッドに戻る。俺は今、鍵を見つけたことも夜中に目が覚めたこともなかったことにしようとしている。そして、その理由を考えないようにしている。
 少し離れただけなのに、シーツは体温を失ってただの布になっていた。俺はそこに潜り込み、冷たい指先が古泉を起こしてしまわないように気をつけながら、その腕をとって元のように俺の首に巻きつけて目を閉じた。

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