帰り道
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SOS団麗しの女性三名が一斉に降りてしまうと、まるで世界が変わってしまったかのような沈黙が車内に降りてくる。それにももう慣れたもので、僕と彼は特に言葉を交わすこともなく、空いている座席に座った。
緩やかな加速度で電車が発車する。対面の座席は空いたままで、暗闇を隔てた窓が鏡のように僕と彼の姿を映している。その向こうに、街の明かりが現れては過ぎていった。
僕はこの時間が途方もないくらいに好きだった。女性陣が電車を降りてから、僕と彼が降りる駅まではわずか二駅。それでも、僕にとっては車内とはいえ、彼とふたりきりになれる唯一といっていい時間だった。大切にしないはずがない。
その五分程度の間、僕がいつものようにぺらぺらと喋り続けることもあれば、珍しく彼の方から話題が提供されることもある。今日はそのどちらでもなく、沈黙が続いていた。なにか話をしよう。そう思って今日やった囲碁の局面を反芻しようとしたのだが、碁盤を思い浮かべた時点でそれどころではなくなった。
とん、と右肩に感触があった。
え、と思って見るとそれは彼の頭だった。そう認識した瞬間に彼は顔をあげて僕を見、それから額に手の甲をあてて、悪い、と呟く。
「――いえ」
たった二文字を云うのに精一杯な自分がどうしようもない。彼は下を向いて大きな欠伸をした。
「眠ってくださって構いませんよ」
「いや、すぐ着くし……」
「着いたら声をかけますから。無理はなさらないでください」
彼は僕を見て、返事の代わりにゆっくりと目を閉じる。僕はそれを、コマ送りに近いスローモーションのように感じながら見ていた。
もう一度肩に感じた感触は、今度は離れなかった。電車の振動に合わせて小さく揺れている。正面のガラス窓に映った自分たちを見て、今更どういう状況なのかを認識して鼓動が早くなる。眠りとの狭間で自然にもたれてきたのか、彼自身の意志で身体を預けてくれたのかはわからなかったが、後者であればいいのにと思った。
「……着きましたよ」
この時間を終わらせてしまうのが勿体なくて、しかし起こさないわけにもいかず、小さく声をかける。少しの間をおいて、彼はやはりゆっくりと目を開いた。肩に燻っていた感触が離れていく。それを引き戻したがる自分の右腕を必死に留めた。
「……ああ」
まだ全てを映しきらない瞳に僕を映して、彼は席を立った。サンキュ、と軽い調子で云われた感謝の言葉を、道標のように聞いた。
彼が電車から降りる。僕もそのあとに続く。
ホームに流れる発車のベルを聞きながら、こんな日常がどうかいつまでも続きますようにと、神の笑顔を思い浮かべて小さく強く願った。
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