stay together

さいごの景色 死人が出ます注意

 ああ、もうおしまいなのだ。
 わかってしまうのだから仕方がない。あの時と一緒だ。それが事実で、それが現実で、わかってしまった僕はそれを受け容れることしかできない。僕はもうすぐ終わる。覚悟ができていたわけではないが、どんな理不尽もどんな不条理も受け容れるしかないという状況にはもう慣れていた。僕はただ、その現実を呑み込めばいい。
 だけど『彼』にはそれができない。
 背中に回されて僕の肩をしっかりと掴んだ彼の体温は冷えてゆく身体に温かく染み込んで、それだけで単純な僕はもう満たされてしまってどうでもよくなる。それは表情に出ていたようで、至近距離から痛切な視線を送ってきていた彼の眉がいっそう顰められた。
「すみません、嬉しいんです」
「なにが」
 彼の声は常よりもずっと低く近く、僕だけに届いていた。
「もしも逆の状況で、あなたが死んでしまって僕だけが生き残るなんてことになったら、僕はとても生きていけそうにない。でも、どうやらそんなことにはならなさそうです」
「ふざけるな」
 地を這うような彼の言葉が聴覚から脳髄を満たしてゆく。
「お前が云うその『逆の状況』に、いま俺が立たされてるってわかってんのか……!」
「わかっています。そして、そんな状況であなたが取り乱してくださっているのがこんなにもしあわせなんです」
 言葉にして伝えると、自分の発した言語に自分でまたしあわせになって、顔が緩むのがわかる。全身がまるで自分ではないかのように重くなって動かず、彼に体重を預けるかたちになってしまっているのに、顔だけは少しも影響を受けていないようだった。癖みたいな笑顔を浮かべる表情筋もぺらぺらと喋る口も、こんな状況なのに健在だ。よかった。
 だが僕が普段通りにしようとすればするほど、彼はいつもの気だるげな様子からは遠ざかってゆく。
「お前、最悪だ。最低だ。この悪趣味、そんなに俺が嫌がるのが楽しいか」
「そうですね……楽しい、より嬉しいという方が近いですが」
「俺は嬉しくないし楽しくもない。不愉快だ」
「すみません」
「笑うな。お前、絶対に赦さないからな」
「そうしてください。赦されようなんて思っていません。赦されて、忘れ去られてしまうくらいなら、憎まれ続ける方がずっといい」
 そういうことを云ってるんじゃない、と彼は斬り捨てたが、僕は自分に都合のいいことばかりを考え続けた。
「どうぞ地獄まで殺しに来てください。ああ、でもあなたはもっときれいなところへ行くのでしょうね」
「今ここで殺してやりたいくらいだ」
「ふふ、それもいいですね。でも僕は、あなたの手が汚れるところは見たくないんです。……聞き入れていただけますか?」
 さいごに。
 ぽつ、と彼の瞳から頬に雨粒が落ちて、すぐに土砂降りになった。僕の犯したすべての罪が洗われるようだった。あなたを愛したことだけは、罪だとは思わないけれど。
「……なかないで」
 鉛のような腕をあげて彼の頬に手を添え、親指を目元に這わせる。温かい。拭っても拭っても雨は止まず、濡れた睫毛をいたずらになぞっているだけだったが僕はこの上なく穏やかな気持ちでいた。
「誰、の、せいだと思ってんだ……!」
 ぎゅう、と肩を掴む手に力がこもる。僕はあなたよりも上背があるのだから、そんなふうに強く抱きとめるのは大変じゃありませんか。そのへんに転がしておいてくださっても構わないのに。
「いいか古泉、」
 濡れた声で彼が僕の名前を呼んだ。
「はい」
「っ、普通に返事してんじゃねえよ……! いいか、俺もお前も巻き込まれたままで、やらなきゃならないことがまだたくさんあるのに、お前だけ解放されるなんて認めないからな。全部俺に回ってくるじゃねえか。だいたい部室に置きっぱなしのボードゲームはどうすんだ、俺はお前と違って、あれを一人でやるような暗い趣味はないんだよ」
「負け続けの僕よりも、長門さんとした方が張り合いがあるのでは」
「長門に勝てるわけないだろ」
「僕なんかの顔を見ているより、朝比奈さんの愛らしいお姿を見ながらゲームされては」
「朝比奈さんはお茶の勉強に忙しいんだ、俺の暇潰しに付き合わせたら申し訳ないだろう」
「涼宮さんは? あなたとならなんだってしてくださるでしょう」
「ばか、ハルヒは俺らの団長様だぞ。それこそ暇潰しなんてしてる暇なんかない」
「ひどいなあ」
 ああ、嬉しくて、心がふるえる。しあわせだ。彼が僕だけを見て僕の言葉にいちいち反応を返してくれている。
「あなた今、僕のことをずっと暇潰し相手だと云っているのに気づいてます?」
 彼は一度目を見開いて、わかってる、わかってないのはお前だ、と云った。
「暇潰し相手がそばにいることがどれだけ大切かわかってんのか」
 答えだ。
 突然与えられた能力によって突然人生が一変した僕が、また生温い日常を過ごすことになった、これが答えだ。このために僕はここへ来たのだと思った。そう思いたい。世界にとっての答えがそうでなくても、僕にとっての答えは彼だ。
「――ありがとう」
 終わりよければ、という言葉があるが、それなら僕は間違いなくすべてよしと云える。こんなにも優しさだけに包まれて終われるのなら、超能力も閉鎖空間も神人も機関も、神でさえもお膳立てでしかない。最大級の謝辞を捧げたい。ありがとう、僕を彼へと導いてくれて。
 彼はまだなにか云っているようだったがよく聞こえなくてわからなかった。あんまり耳元で怒鳴らないでください、そんなことをしてもあなたの喉が嗄れてしまうだけで僕はもう聞き取れそうにありません。ありがとう、すきです、あいしています。ずっと。声に出して伝えたつもりだったが、それが届いたかどうかももうわからない。肩を揺すられる。温かい。頬にはまだ彼の雨が降り続いている。彼一色になった世界のすべてが温かくて溶けてしまいそうだった。

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