あなたとふたりで
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「セックスをしませんかと提案したことがあるんです」
それまでの流れを無視するようにそう告白した僕に、案の定彼は胡乱気な目をくれた。
彼がこの手の単語や話題に敏感なのは知っている。どこか一線を引くように、すっと雰囲気が変わるのが好きだった。
「それはまた、随分とご大層な提案をしたものだな」
「若かったんですよ」
お前幾つだよ、と顔を顰めた彼の言葉は流させてもらう。それは禁則事項です。そう、若くて幼くて、今よりもほんの少しだけ、荒んでいた頃の昔話です。
「――それで?」
興味があるのかないのか測りかねる表情で――ないはずはないのだけれど、興味の種類は残念ながら特定できない――続きを促した彼がちらちらと、こちらの様子を窺っているのがわかって、問答無用で引き寄せて掻き抱いてしまいたくなる。でも、まだ。まだだ。
「そのお前の若さゆえの提案はどうなったんだ」
溜息の中にはっきりと、僕の答えを逃すまいとしている色が見える。いつの間に彼はこんなにもたくさんの表情を見せてくれるようになったのだろう。そのことに緩むこの顔を、いつもの癖だと見逃してくれればいい。
「彼女は僕の顔をじっと見つめて、無表情のままこう云いました」
あの時の彼女は無表情だったけれど、今の僕は笑みを抑えられないまま。
「『セックスをするなら考えてもいいけれど、あなたの自慰行為に付き合っているほど暇じゃないわ』」
彼の視点は僕の顔を離れて天井へ、それからぐるりと床へ落とされてまた戻ってきた。その顔に浮かぶのは憐憫に近い同情だ。
「それはまた……こっぴどい振られ方だな」
「ええ、もう。頭から冷水を被せられたような気分でしたよ」
本当はそうして欲しくてあんな莫迦な提案をしたのだから、僕の人選は正しかったと云える。しかしそんな事情を知らない彼には僕がよほど哀れに見えたのか、微苦笑を浮かべていた。
いつも気だるげにしているように見えて、実は表情豊かな人なのだとこういう時に感じる。だからもっといろんなかおを見たくなるのだと、知っていますか。
「だから僕、セックスをしたことがないんです」
次に彼は、怪訝そうな表情になってから徐々に疑いの色を強くしていった。
こんなことを楽しいと思うのはサディズムだろうか、マゾヒズムだろうか。どちらだって構わない。相手があなたならば。
「――なにが云いたい?」
「ええ、ですから、」
僕はやっと手を伸ばした。袋小路へ追い詰められていることに彼はようやく気づいたらしいけれど、もう逃がさない。
「セックスをしませんか?」
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