happiness is

ベルナルドとルキーノ。ルキーノの結婚式

「シニョーレ・オルトラーニ!」
 頭上に広がる青空のように澄んだ声に呼ばれ、ベルナルドは振り返る。本日の主役の一方が、緻密に編まれたレースのヴェールをなびかせながらこちらへ歩いてきていた。
 ベルナルドは持っていたシャンパングラスを傍のテーブルへ置き、彼女を迎えた。
「おめでとう、シニョーラ・グレゴレッティ。今日という最良の日にお招きあずかり光栄だよ」
「あなたをおいて他の誰に祝ってもらえと云うの? こちらこそ、来てくれて嬉しいわ」
 小柄な花嫁は、そう云ってゆったりと微笑む。つられて自分の顔も笑みの形になるのがわかった。
 最初は、こんなふうに笑ってみせるようなことはなかった。大柄なルキーノの身体に隠れるようにして、窺うような表情をしていたことを覚えている。それは決して無礼な態度ではなく、ただ彼女自身を守るため、敵味方を見極めていたのだろう。ベルナルドがルキーノの同胞であることを理解したシャーリーンはすぐにベルナルドとも打ち解け、三人で会うことも少なくなかった。
 ルキーノに紹介された時、涼やかな木陰に佇んでいるような女性だと思った。それがいつの間にか、照りつける太陽のような笑顔を見せるようになった。その変化がルキーノの影響ならば、彼は偉大な男だ、と思う。
「それで、旦那は花嫁をおいてどこをほっつき歩いているんだい? ライオンはすぐに檻を飛び出すから手に負えない」
「お偉方に捕まっているわ。あなたに挨拶する頃には鬱憤を溜めているでしょうから、面倒がらずに相手してあげて頂戴」
「それは大役だ」
 ふふ、と笑い合う声を風が攫う。テラスに溢れているフラワーアレンジメントから花弁が舞って、白いテーブルの上を彩った。
「ベルナルド!」
 届いた声に、ほらね、とシャーリーンがまた笑った。
 組織の爺様方の輪から逃れるように、主役のもう一方であるところのルキーノがやってきた。他の賓客よりも頭ひとつ以上飛び出ているルキーノは、どこにいても何をしていても目立つ。加えて今日は、その出で立ちが何より目立つ要因だった。黒いスーツ姿を見慣れてしまっているせいで、似合っていないわけではないのだが、どうにも違和感を拭えない。
 しかしそれは自分もそうかと、ベルナルドは後ろへ撫でつけた自分の髪のことを考えて思い直す。改まった場なのでそのようにしたのだが、鏡の中の自分とすぐには仲良くなれそうにないと思ったのだ。
「おめでとう、世界で一番幸福な花婿殿」
「当然だ。こいつを嫁にもらって幸福じゃないなんてのたまったら神罰が下る」
 白いタキシードを纏ったルキーノが、長い腕で掬うようにシャーリーンの肩を抱き寄せる。並んだふたりは身長も体格も正反対で一見ちぐはぐなのだが、ベルナルドはそれを、これ以上なくぴったりとはまり合ったピースのように感じた。
「ベルナルド、お前ちゃんと食ってるのか? 今日はデイバンで一番のシェフとパティシエを呼んだんだ。ここに並んでいるのは全部、お前の好きな、最高級のものだぜ」
「いただいているさ。ワインの香りだけで酔いそうになったよ」
「それは食ってるとは云わないだろう」
「じゃあ、私が見つくろってくるわ。味はわかっているから、絶対にお勧めのものだけ少しずつ取ってきてあげる」
 だからもうちょっとここにいて頂戴ね、とベルナルドに笑顔で待機を命じて、シャーリーンは所狭しと並べられたビュッフェの山へ手を伸ばした。思わずその後ろ姿の細腰を見てしまったベルナルドに、ルキーノがはは、と笑う。
「あいつ、あんな細っこい身体で、結構食うんだ。ここにある料理、全部味見したんだぜ?」
「そういう女性は、料理も巧い。だろう?」
「その通り」
 ルキーノはにやりと笑って、チキンを手で掴んで口に放り込んだ。普段の彼ならば絶対にそんな行儀の悪いことはしない。
 鷹揚に構えているから判りづらいが、浮かれているのだ。宝物を手に入れた子供のように。
「お前は子供ができるのも早そうだ」
「任せておけ。産まれたらすぐに自慢しに行ってやるからな」
「それは楽しみ。男の子がいい? それとも女の子?」
「最低二人ずつは欲しいな。だが一人目は絶対に女の子だ。あいつと同じブロンドの――ベルナルド、近いうちに天使に会わせてやるよ」
 饒舌なままルキーノは空のグラスをふたつ並べてシャンパンを注ぎ、一方をベルナルドへ渡した。
 グラスを掲げたベルナルドの左手、色気のない薬指をルキーノが注視する。
「お前も早くいい相手を見つけろよ」
「余計なお世話だ。心配されなくても、俺はファミーリアには恵まれているのでね」
「違いない」
 きん、とグラスを合わせ、ベルナルドとルキーノは言葉なく広い会場を見渡した。
 大勢の人間が、ルキーノとシャーリーンを祝うために集まっている。ボス・アレッサンドロや幹部筆頭のカヴァッリはもちろん、役員会の面々や行政の重鎮も。
 ルキーノのシマの教会で育てられている少女が、花屋のものとは違う、おそらく道端で摘んだ花で作ったのであろうフラワーリースをシャーリーンに渡そうとしている。それに気づいて、料理を取り分けていた花嫁は皿を置く。しゃがんで同じ目線になったシャーリーンがこうべを垂れて、少女はそれをヴェールに重ねるようにそっと預けた。再び頭をあげたシャーリーンは、ありがとう、と囁いて少女を抱きしめる。
 空は遥か高くどこまでも青く、人々の喧騒と止まない音楽を吸い込んだ。

 この日、たしかに世界はふたりを祝福していたのだ。

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