きれいに見えるものなんて

ベルナルドとラグトリフ。仕事の契約。万年筆はAURORAのオプティマ

「ではここにサインを」
 いくつかの確認事項を淡々と済ませたあと、エメラルドの髪の若手幹部はそう云って一枚の紙を差し出した。タイプライターで記述された文字の塊の下に空白がある。ラグトリフは紙と一緒に差し出されたペンのキャップを外し、空白にペン先を走らせた。濃い碧のモザイク模様が敷き詰められた万年筆にはたっぷりのインキが補填されており、するすると筆跡が滑るのが心地好い。
 紙の向きを相手方へ変えて差し出すと、ベルナルドはそれを受け取りまじまじと見つめた。
「ラグトリフ・フェルフーフェン」
「はい?」
「いや……改めて字面で見てもユニークな名前だ」
「酔っ払いはろくなことをしませんからね」
「悪くないさ。それと、字が綺麗で意外だった。そんな暗い眼鏡をかけているのに」
 声は決して責める調子ではなかったが、不意打ちの話題で一瞬、怯んだ。入室した時からかけたままの黒い眼鏡について、これまで一度も触れず、外せとも云われなかった。無礼だと知ってはいたが外すつもりはなかったし、そのことで非難されるようなら契約はしなくていいと思っていた。
 ラグトリフはベルナルドの無表情を見やり、薄い唇を開く。
「はっきりとは見えなくても、存外と、どうにかなるものです」
 云ってから、これは説明になっただろうか、納得されただろうかと、薄暗いフィルターを通して窺った表情は予想に反し、微かに、ゆるく、綻んでいた。思わずぱちぱちと瞬きをしたのは、きっと気づかれなかっただろう。
 ベルナルドがかけている透明なレンズの眼鏡は、ラグトリフのそれよりも明るく、正しく世界を映すのだろうか。
 茫洋と思うラグトリフをよそに、ベルナルドは持っていた契約書を机に滑らせ、右手を差し出す。
「これから、よろしく」

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