佐伯克哉の憂鬱(未完)

あの作品のパロディです

 ドッペルゲンガーをいつまで信じていたかなんてことはたわいもない世間話にもならないくらいのどうでもいいような話だが、それでもオレがいつまでそんな想像上のもう一人の自分を信じていたかというとこれは確信をもって云えるけど最初から信じてなどいなかった。
 だってそうだろう? 十人十色、人はそれぞれ違う生き物だ。地球上には六十億人もの人間がいるというから一人くらいは自分に似た人がいてもおかしくないけど、その相手を見たら死ぬというのは理論的におかしい。病気や寿命ではなくただ「見た」だけで人が死ぬなんてことはありえない。
 だからオレはドッペルゲンガーなんて信じちゃいなかった。だけどそんなお伽話は別として、自分にそっくりな人間がいたらおもしろいなあ、なんて妄想をしていたこともまた事実だ。もちろん姿形が似ているだけなので、見ても死なない。オレの命は安全だ(ところでドッペルゲンガーを見た時はオレだけが死ぬんだろうか。ドッペルゲンガーからすればオレがドッペルゲンガーなわけだから、ドッペルゲンガーも死ぬんだろうか。ということは共倒れ?)。
 オレにそっくりなそいつは、もしかしたら中身もオレに似ているかも知れない。勉強も運動もすべてがそこそこ。押しが弱くて損な役回り。……うう、もう一人の自分がかわいそうになってきた。
 中身が同じなら、オレともう一人の自分は、同じ人を好きになったりするんだろうか。同じ人を同じように好きになって、同じようにアプローチして、そんなことになったら相手の人は困るだろうなあ。オレみたいな奴に、しかも二人分好きになられるんだから。
 そんなことを頭の片隅でぼんやり考えながらオレはたいした感慨もなく高校生になり――、

 〈佐伯克哉〉と出会った。

「みんなに自己紹介をしてもらおう」
 と担任が云った。入学初日にはよくある流れだからたいして驚きもしない。周りも特にざわつくでもなく、テンプレートな自己紹介が始まった。没個性な内容だろうと初対面の人の前で発言するというのは緊張するもので、オレもどきどきしながら最低限のことをなんとか云い終えた。
 ひと仕事終えた気持ちでやれやれと着席する。替わりに後ろの奴が立ち上がり――ああ、オレは生涯このことを忘れないだろうな――後々語り草となる言葉をのたまった。
「東中学出身、佐伯克哉」
 自分の番が終わってすっかり気の抜けていたオレの反応は鈍かった。高校一年とは思えない低い声だ、でもいい声だな、よく眠れそうだ、などと思った後でやっと気づく。
 佐伯、克哉?
「ただの男に興味はない。この中にドM、淫乱、虐められたい奴がいたら俺のところに来い。以上」
 一瞬にして凍りついた空気の中で、オレはようやく振り向く。
 そこには〈オレ〉がいた。
 分けられた前髪も、冷たい印象を与える眼鏡も、他人を見下すような鋭い目つきも、オレとはかけ離れている。腕を組んで顎を上げ、流し目でクラスメイトを見回す仕草は傲岸不遜としか云いようがない姿だった。オレにはまかり間違ってもあんな態度はとれない。
 でも、そこにいる〈佐伯克哉〉は、オレとしか思えないのだった。髪や目の色、輪郭といったパーツが似ているような気がしたけれど、同時にそんなことは建前でしかないような気もしていた。目の前の彼は、オレだ、と。なぜか、強く、そう思った。
 〈佐伯克哉〉がぐるりと教室内を巡らせた視線を正面へ戻す。そこにはオレがいて、つまり真っ向から目が合った。〈佐伯克哉〉はオレを見て一瞬眉を上げ、それから目を細めてにやりと笑った。それはまるで餌を見つけた獣のようで、背筋に薄ら寒いものが走る。
 ところでこいつはさっきなんて云った? どえむ、いんらん、いじめられたいやつとか何とか……少なくとも新入生としての自己紹介で出てくるとは思えない言葉ばかりだったことは確かだ。
 ええと、これってギャグなのか? 笑うところ?
 結果からいうと、それはギャグでも笑いどころでもなかった。〈佐伯克哉〉は、いつだろうがどこだろうが冗談などは云わない。
 常に大マジなのだ。
 のちに身をもってそのことを知ったオレが云うんだから間違いはない。そう、身をもって……。オレは声を大にして叫んでもいい、こんなことを身をもって知るために高校に来たんじゃない! と。

 とにかく、こうしてオレたちは出会ってしまった。
 しみじみと思う。偶然だと信じたい、と。

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