関東大会の夕方
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これは、幸運ではなく、不運と云うのだ。
そしてこういう気分のことを最悪と云う。常識。
最悪な時には何をしても見ても感じてもすべてが自分を嘲っているように思えて、だから出来るだけ、他人と顔を合わせてはいけない。
防衛本能。
そう、それだ。
自分のことは自分で護りなさい。身も、精神も。そういうことだ。
だからもう今日は誰とも顔を合わさず、真直ぐ何処かひとりになれる処――家ではなく――へ行かなければならなかったのに、
どうして居るの。
「千石」
その声がした時、もう人も疎らになった典型的に淋しげな水道台の前で、俺は思い切り頭から水を被っていた。
水が総てを洗い流すなんて嘘だ。
それならここに、こんなひとが現われたりなんてする筈がない。
声で判っているけれど、振り向いた。違うひとであります様にと願いながら。
願いなんて叶わないと俺は忘れていた。
「―――跡部君」
彼はいつものように目を細めてこちらを見ていた。
それは不機嫌だったり、不快だったり、奇蹟的な優しさだったりするのだけれど、今日は、
「何してんだ、テメエは」
呆れているのだろう、というのは判った。
それは感情だ。大事なのはその上。思考。彼の澱みない思考がいま何を考えているか。
ところで自分の思考は何を考えているのだろう?
「跡部君こそ、何してるの? もうとっくに解散したでしょ」
云ってから、明らかな皮肉が混じってしまったことに気付き後悔した。
そういう他人の弱い部分へ、彼は決して触れないヤサシイ人間だというのは解っているから、そのことが何の影響も及ぼさないのが痛い。辛い。苦しい。
放っておいてよ。
彼はそれを選ぶ。
触れるべき部分と、そっとしておく部分と。
相手への思い遣りだ。
けれど彼は器用ではないから、さり気ない思い遣りも俺にはバレバレだ。
そんなに一生懸命にならなくてもいいよ。
誰が?
―――莫迦莫迦しい。
「俺は部長だからな。部長ってのは雑用係なんだよ。今終わった」
「……ふーん」
「んだよ、煮え切らねえな」
「別に―――何でもな」
いよ、とは続けられなかった。
目の前のひとがいきなりペットボトルを投げつけてきたからだ。
しかも開封前。0.5キロ。
痛いよ。
「―――痛いよ、跡部君」
俺の主張を、彼はそれは善かった、という場違いな言葉で受け流した。
真直ぐ伸びる両脚は、そのまま踵を返す。
俺の前には、何も残さない。
「何処行くの」
「帰んだよ。他に何がある」
何もないけど。
もう。
「―――じゃあ俺も帰ろっかな」
「あぁ?」
濡れたままの髪を掻いて、傍に置いてあった鞄を手に取った。
少しだけ考えてから、開封前で重たいままのミネラルウォータはそこに放置することにした。
「あーあ、もう」
今は跡部君にだけは絶対会いたくないと思っていたけれど、
今は会えてよかったと思った。
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