あくじきのこども

沖田のよく食べるところが好き

 朝稽古を終えて出かけた土方が夕方になって屋敷に戻ると、居間に面した縁側に小さな影が腰かけているのが見えた。
 だらりと下がった細い足首をぶらぶらと揺らしながら、つまらなさそうに空を眺めている。見ているほうになにかあるのかと土方も空を見上げてみたが、少し雲のあるだけで特段目を惹くようなものはない。
「総司」
 声をかけると沖田はぱっと振り向き、土方にしかわからない程度に目を輝かせた。
「土方さん」
 立ち上がって駆け寄り、全身でどんと抱きついてくる。沖田は土方の腰ほどしか上背はないが、全力でこられるとそれなりの負荷があって、裸足で廊下を踏みしめた。
「いま帰ってきたの」
「ああ。そんなところでなにしてたんだ?」
「べつに……」
 ばつが悪そうに、すいと視線が庭先へ逸らされる。その先を追って、それから真逆の居間のほうへ目をやると、卓上に食器が並んでいるのが見えた。米も煮物も汁物も、ほとんどが手つかずで残っている。
「昼飯食わなかったのか?」
 抱きついたままの肩に手を置いてそう訊くと、幼い肩がびくりと跳ねた。顔は地面を向いていて表情が見えない。
 土方は腰を落として顔の高さを沖田に合わせた。覗き込んでも視線は合わず、桜色の小さな唇がつんと尖っているのは拗ねているようにしか見えなかった。
「具合でも悪いのか」
 一応、可能性のありそうなことを訊いてやる。沖田は首を小さく横に振った。
「……おなか減ってないだけだよ」
 それもやはり拗ねているようにしか聞こえない。一拍置いて、聞き逃しようのない大きさで、ぐう、と沖田の腹の虫が鳴った。
 気恥ずかしさをごまかすように、小さな手が土方の手を掴んで居間に引っ張った。おとなしくついていくと卓を挟んで沖田の向かいに座らせられる。
「そこにいて」
 手本のような正座をし、いただきます、と手を合わせる。箸の使い方もすっかり慣れて、昼食と呼ぶには遅い食事をぱくぱくと口へ運ぶのを、土方は正面からじっと眺めた。
「腹減ってたんじゃねえか」
「……さっきまでは減ってなかった」
 言い訳のように言うが、嘘にも聞こえない。
 拾った当初こそ近藤や土方の見ていないところでしか食べ物に手をつけなかったが、三人で食卓を囲むようになってからはずっとそうしていた。考えてみれば食事の時に沖田をひとりにしたのは初めてだ。そんなことでと思わなくもないが、心細かったり寂しかったり、そういう時に食事が喉を通らないのは痛いほどわかる。
「冷めちまっただろ」
「おいしいよ」
「そうか。夕飯もちゃんと食べろよ」
 口に詰め込んだものを咀嚼しながらこくりと頷くのを見て、愛おしさが湧かないほうが無理な話だった。

 骨と皮だけの子供だった沖田は、食事を与えてやればすくすくと育ち、土方ほどはいかないまでも同年代の少年としてはすらりと背のあるほうになるまで成長した。好き嫌いもほとんどなく、痩身からは考えられないほどの量をぺろりと平らげる様子は見ていて気持ちがいい。
 先に食事を終えた土方がのんびりと茶を啜っていると、茶碗に三杯目の白米をよそった沖田が怪訝そうな視線を寄越した。
「……土方さん」
「なんだ」
 ずずず、と口に含んだ煎茶は、だいぶ温くなってしまっている。
「なんでまだそこにいるんですか? お茶飲むだけなら部屋に持って行ったらいいじゃないですか」
 思わずむせてしまったのを責められる謂れはないと思うが、沖田はますます胡乱な顔をしていて殴りたくなった。
 ごとりと湯呑みを置いて大きく溜息を吐いてみせても、目だけでなんなんだと訊きながら口は米を頬張っている。相変わらずよく食べる。食欲があるのは喜ばしいことだ。その旺盛な食欲は、土方がそばで見ているからこそのものであると信じていたのだ、あの時から今日までずっと。
「お前、小さい頃、ひとりにすると飯を食わなかっただろう」
「そうなんですか?」
 そうなんですかではない、沖田自身のことだ。昔話とはいえこんなにもまったく忘れ去られていて、気にかけていたのが自分だけだとわかると急に全身から力が抜けた。
 沖田は茶碗を置いて、代わりに味噌汁の器をとった。これも中身は二杯目で、具の豆腐は土方が選んだものだ。
「まあ、土方さんがそこにいたいなら、いてくれてもいいですよ」
 涼しい顔でけろりと言い放つのに腹が立って、土方は立ち上がるのをやめた。

 堪えるように低く唸り、目を伏せた土方の顔に沖田の手が伸びる。頬を包んで、親指で目頭から目尻まで睫毛をなぞるように撫でた。
「だめですよ」
 瞼がひくりと反応して上がる。まっすぐに長い睫毛の奥から群青色の宝石が覗いて、沖田は満足げに微笑んだ。
「食べ終わるまで、ちゃんと見ててください」
 唇を舐める赤い舌はてらてらと濡れ、捕食じみて蠢き土方を捕らえる。

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